下山事件資料館

7月5日 午前8時45分

下山事件東京駅周辺関連図

下山事件東京駅周辺地図●画面をクリックすると、640*540サイズでウィンドウが開きます。ツールバーで操作して下さい。

●重さは167KBあります。256Kbpsで8秒はかかるでしょう。

●地図を細分化したものを各章にもUPしますので、回線速度に応じて使い分けられることをおすすめします。

●ルートの重複を考えて、青と赤でルートを描き分けました。一番左下の三信モータープールがスタート地点となります。ゴールは三越南口です。

●神田駅周辺のみ手書きとなっています。

●東京がかつて水の都だったことを実感させてくれる一枚です。

失踪までの50分間

和田倉門から先、下山総裁がどのような行動をし、どのような経路をたどったかに関しては、大半の「下山本」に書かれている。相互に足りない情報を補完し合い、明らかに間違いと思われる情報を排除することで、作りあげてみたのがこれ以降の章だ。まずは、例によっておおよその目安として以下のようなタイムテーブルを作成してみた。

8時45分:和田倉門前交差点(捜査報告書大西証言)
8時45分:大手町交差点で永代橋通りへと右折(約350m)
8時46分:国鉄呉服橋ガード通過(約450m)
8時48分:日本橋交差点を左折(約550)
8時49分:三越で開店時間を確認後、北側の道へ左折(約400m)
8時50分:常盤橋ガード手前を右折(約500m)
8時52分:神田駅西口前で停車(約800m)
8時54分:出発し、多町大通りを直進
8時54分:内神田3丁目交差点で神田警察通りへと右折(約200m)
8時55分:中央通りへと右折、神田駅東口ガード通過(約200m)
8時57分:本石町(現室町3丁目)交差点を右折(約500m)
8時59分:呉服橋ガードを通過して左折、交通公社前(約800m)
9時00分:国鉄本庁裏玄関への至近距離を通過(約300m)
9時01分:千代田銀行正面玄関(約500m)
9時02分:千代田銀行へ入店
9時25分:千代田銀行から出店(岩淵金庫係長証言)
9時26分:乗車、出発
9時27分:京橋交差点で銀座通りへ左折(600m)
9時29分:日本橋交差点通過(約800m)
9時30分:三越南口駐車場(約400m)(朝日新聞インタビュー)
9時35分:下山総裁、三越へ入店。そのまま失踪。

参考資料
●捜査報告書より7月4日の行動
●捜査報告書より大西運転手の証言
●7月22日付け朝日新聞より大西運転手への独占インタビュー

昭和24年の東京駅周辺、朝8時台

ビュイック ロードマスター昭和24年頃の平日朝8時台、この近辺の交通状況はどんな感じだったのだろう?

●第1にこの近辺は当時の日本で最も自動車の交通量の多い場所だったのではないか。民間の車両だけではなくGHQ関係車両や社用車などが集中し、はては当時流行だった自転車による「輪タク」も走行していたはずだ。

●第2に交通整理の警官や信号機の存在である。当時は大きな交差点には必ず交通整理の警官などがいたことは前に述べた。日本最初の3色信号機は昭和6年に銀座4丁目と京橋交差点ほか34ケ所に設置されていたそうなので、この近辺の主要交差点には信号が整備されていたのではないかと思う。

●第3に都電の存在も忘れてはならない。今でこそ片側3車線の広い道でも、当時は中央2車線分は都電の軌道になっていた。そのうえ、この時間帯には、各系統の電車が同一軌道に集中してきて、2台3台と数珠つなぎになって走行していたと思う。現在の都営バスを想像すればよい。並走する分にはいいが、目の前を横断された日には大変だ。また、この近辺には都電が交差したり、右左折をする場所がいくつもあった。鍛冶橋、呉服橋、京橋、日本橋、本石町(現宝町三丁目)などがそれだ。ある意味では信号が完備されて、三車線走れる現在の方が余程走りやすいのではないかと思った。

●第4に自然渋滞について。このルート上で現在、平日に最も混雑するのは、銀座通りの日本橋交差点と京橋交差点の間であると思うが、これは高島屋日本橋店があることに関係が大きい(間違っていたらゴメンナサイ)、したがって当時渋滞があったとは到底考えられず、信号などで停止を喰らわない限りはスイスイ走れたのではないだろうか?

●第5にはビュイック固有の行動だが、日本橋交差点、京橋交差点、室町三丁目交差点などでは信号待ちで停止したと仮定して時間を加えてみた。また、三越本店前で開店時間を確認するため速度を落としたとか、神田駅西口に一旦停止したなどといった、考えられる状況もシミュレートしてみた次第である。実はそうでもしないとツジツマが合わないのである。

とまあそんなわけで、ガラすきの日曜日の午後、僕はこのルートを実際に走ってみた。当時と違って一方通行になっている道もあるので、その通りというわけにはいかなかったが、感想としては、予想以上にスイスイ走れるのにびっくりした。ちょっと気を抜くと簡単に50キロ以上出てしまうので(おいおい)、上記タイムテーブル以上に早いペースで回れそうな区間がいくつもあった。

当時の車の性能もあったかもしれないが、大西運転手という人は、制限速度40キロをきっちり守るような人だったのではないかと思う。正確に守っていなければ、もっと早いペースになっていたはずだ。総裁に「もっと早く走れ」と怒られた話や、5時まで律儀に総裁を待ちつづけた話などは、大西運転手の面目躍如というところである。

最後になるが、三越に到着した時間だが、捜査報告の大西証言(9時37分ごろ入店)よりも、朝日新聞の大西証言(9時30分ごろ到着)を優先させた。千代田銀行本店からの距離を考えると、三越日本橋本店までは5分程度が妥当だからだ。この点については後で詳しく述べる。>