当サイトでは、昭和24年に発生した「下山事件」に関して、詳細な事実関係と些細な情報、無駄な情報とをごちゃ混ぜにして発信してゆく。役に立つ人もいるかもしれないが、社会的に役に立つかどうかは自信がない。
それはあたかも「闇鍋」のようなものだ。闇鍋では牛肉を食べれるラッキーな奴もいれば、トイレのスリッパを食べてしまう不幸な奴もいる。でも闇鍋自体に社会的に意義があるとは思えない。当サイトもその程度と思って欲しい。
英語のページがあるわけでもないのに、英語タイトルをつけてみた。「下山事件」に関して、アメリカ公文書館では「Shimoyaman Case」と訳している。しかし「Incident」の方が響きがカッコいいのでそうした。ちなみにgoogleでは「Shimoyama Incident」のほうがヒット数が多いぞ。
下山さんの死に関しては、今なお数多くの説が氾濫している。他殺ひとつとってみても下手人は多種多様だ。アメリカ、ソ連、日本共産党、日本政府筋、北朝鮮筋などなど...中には自殺したのは実の兄で、本人はそのまま失踪したなんていう説(生存説?)もある位だ。
評論家の佐藤一氏は「1949年”謀略”の夏」で下山事件に関して「もはや形骸化された神話だ」と書いている。つまり「国鉄総裁の失踪→常磐線で轢死体で発見」というプロットがあって、その間に何が起きたかについては100人の著者が100通りのストーリーを展開しているにすぎないというのだ。
氏が苛立つ気持ちは理解してあげよう。何しろ10年にわたる調査の結果「下山事件全研究」という大作を出し、他殺説の根拠を根こそぎ看破して自殺説を唱えた人だ。氏はきっとその後も氾濫する様々な他殺情報に苛立たしさを感じていると思う。
そこで提案だが、ここはひとつ下山さんが100人いたことにしてはどうだろう。
100人の下山さんは100台のビュイックに乗って自宅を出発、それぞれ好きなコースを廻った挙句、好きな時間に三越に入店する。そんでもってアメリカ、ソ連、共産党、Y氏などあちこちの機関に誘拐されたり拉致されたりして謀殺される(こういう動詞あったか?)。そして常磐線に並べられるわけだ。かと思えば、自らの意志で常磐線に飛び込む下山さんもいるし、誰か代わりの人に飛び込ませて、蒸発してしまう下山さんもいる。きっと国鉄は大騒ぎに違いない。
僕はこれを「イナバ物置史観」と名づけた。イナバ物置は屋根に100人乗っても大丈夫だ。複雑に自他殺情報が入り組んだ「下山事件」について書いてゆくのに、時には100人の下山さんを登場させないと、とてもじゃないが話が進まない。そんなわけで、このサイトに来てくれる人は、自殺とか他殺とかではなく、ニュートラルな視点で100人の下山さんの行動を見て欲しい。
HN : Shimoyamania (シモヤマニア)
1949年 下山事件発生する。
1964年 下山事件時効をむかえる。
1965年 12月3日、元社会党委員長の河上丈太郎氏が死去した1時間後、東京都杉並区で生まれた。生まれ変わりでないことは、アホで思想背景を全く持たないところからも明らか。
1969年 総裁が失踪した三越日本橋本店でお子様ランチに出会う。味は忘れたが、敷紙のゾウさんやキリンさんが立体的に折り上がるのがお気に入りだった。
1970年 渋谷の東急百貨店で迷子になり、警察に保護される。東急渋谷駅のホームで電車に乗り降りしているところを駅員に発見された次第。駅員が発見しなければ、おそらく失踪していただろう。
1970年 大阪万博の会場で、透明の円形ドームに乗っかって遊んでいるところを、コンパニオンに叱られる。
1971年 横浜の辺境へ引越しする。その新興造成地は広大な原っぱ、仮面ライダーごっこや、帰ってきたウルトラマンごっこに興じる。
1971年 母に連れられて今は無き有楽町の日劇へと頻繁に通う。アクロバットのコメディアンに抱かれてステージの上へ拉致された経験あり。そうかおれは李香蘭と同じステージに立ったのか。
1972年 近所の山で拾った犬の頭蓋骨を警察に届ける。
1972年 近所に住む1歳年下の男の子が誘拐され、その日のうちに殺害された。犯人が韓国へ逃亡というややこしい事件だったと記憶している。偶然、大学時代に付き合っていた彼女が、横浜に住む以前の彼と幼馴染だった。
1972年 第1期事件マニア時代。学研チャンピオンブックスの「世界のなぞとふしぎ」「あの事件をおえ」「きみは名探偵」「怪奇ミステリー」などにハマる。
1973年 関内の市役所前で交通事故に遭い、全治1ヶ月。
1975年 祖父にもらった「近代日本史」という写真集で下山事件を知る。
1976年 「キャンディーズの3人の中でミキちゃんが好き」と言うと、周囲の空気が変化することに気付く。現在に例えるとモー娘。の小川あたりか。
1978年 粗大ゴミ置き場で拾ってきた白黒テレビをヒョイヒョイ直してしまう親父のお陰で、我が家のみ「ゴレンジャー」をモノクロでしか見れなかったが、ようやくカラーテレビを購入。極彩色で見た「成田空港占拠事件」は鮮烈だった。
1980年 日比谷野音で開催されたジョン・レノンの追悼集会に参加。キャンドル行進で銀座を歩く。総裁もビュイックで通過した常盤橋公園でジョンの歌を終電まで歌い続けた。
1981年 バンド結成、レパートリーはザ・フー、ツェッペリンなど。
1983年 松田聖子のコンサートで出待ちをする。
1985年 大学在学中、高島屋日本橋店でアルバイト。人事部などあちらこちらの部署のおねえさまにひとめぼれする。わざわざ東急百貨店(白木屋)へ休憩に行くこともあり。
1987年 第2期事件マニア時代。下山事件現場を筆頭に、玉ノ井バラバラ殺人事件現場、阿部定事件現場、帝銀事件現場、三鷹事件現場など歴訪。初めて大阪へ行き、取り壊し直前の「千日前デパート」を見たのもこの頃。
1989年 江戸東京マニア時代。上野・根津近辺をこよなく愛す。
1990年 新入社員の赴任先は大阪。10月某日夜、釜ケ崎で発生した暴動を物見遊山で見学に行く。私が現場を離れた20分後、暴動により阪堺線南霞町駅炎上。
1995年 1月、かねてから悪化していたじん帯の手術をするため、京都の警察病院へ入院。同室には警察官の方多数、また、犯罪者系の方も多数入院されていたようである。僕が持ち込んだ大量の「こち亀」を皆でまわし読みする。1月13日手術が終了。ギブスと点滴で全く動けない状態のまま17日早朝、阪神淡路大震災に遭遇。
2002年 東北自動車道走行中、蔵王付近でガーブを曲ったところに横転したばかりのトラックが....すんでのところですり抜ける。
2005年4月 横浜上大岡で乗用車に追突され入院。手術の当日、尼ケ崎脱線事故発生。なお、119番通報した人は総裁のお孫さんと同じ中学校同級生だった。
2009年11月10日 音楽に関する今までの仕事を拡張発展させ株式会社を設立。代表取締役に就任。同日森繁久彌死去。「社長」が亡くなった日に社長になるというわけのわかんないことに。
2011年3月28日 信号待ちで原付で停車中に、ブレーキペダルの抜いた車に後方からコツンと追突される。3度目の人身事故。
現在横浜の辺境にて妻、2人の娘、2匹の野良猫、時折やってくる野良アライグマや野良ハクビシンと暮らす。SARS感染が心配。スタッフ3名とささやかな音楽に関する仕事やってます。
いつも脳内を駆け巡っている言葉
「世界のなぞとふしぎ」、「あの事件をおえ」、「怪奇ミステリー」、高田渡、黒澤明、ピート・タウンゼント、ヴァン・モリソン、サニーディ・サービス、くるり、小島麻由美、倉橋ヨエコ、ASP、三木鶏郎、江利チエミ、ムッシュかまやつ、日本のソフトロック、赤い鳥、吉村昭、児島譲、地域猫、浦安鉄筋家族の春巻、子連れ狼、「新選組血風録」「燃えよ剣」「俺は用心棒」の栗塚旭、下町、古都、インスタントラーメン、デジタルアーカイヴ、道の駅、「マッハの恐怖」、みうらじゅん、大巨獣ガッパ、三代目三遊亭金馬師匠、笑い飯、陣内智則、吉本新喜劇、阪神タイガース、庭園鑑賞、つげ義春、江戸川乱歩、ラジヲとテレビヂョン、○○人間(○○には「透明」「電送」「妖怪」などが入る)、Photoshop、電子ブロック、泉鏡花、ドリフターズ、日露戦争百年、矢板玄、パブリシティ、損益分岐点、ジパング
以下ていねい文。
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